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日本に石けんが伝わった頃の話(1)

ポルトガルの南蛮船

石けんは、ポルトガルからの南蛮船によって鉄砲と共に日本にもたらされました。最初、石けんは、洗浄用としてではなく、薬用として主に用いられたそうです。

また、手にすることのできたのは将軍や大名などの限られた人たちだけでした。

江戸末期頃までは、石けんのことを「シャボン」と呼んでいました。石田三成の手紙に「シャボン」という言葉が出ています。この「シャボン」という言葉はポルトガル語の(sabao)が語源だそうで、石けんの産地、イタリアの石鹸製造都市サボナに由来すると言われています。

石田三成

明治に入り、新しく「石鹸」という言葉が出てくるのですが、「シャボン」より「石鹸」の方が今風の言葉として、当時は親しまれていったそうです。以後、石けんは、「石鹸」という言葉と共に、人々にとって、なくてはならないものとなっていきます。

※石田三成が博多の豪商、神谷宗湛にあてた礼状には 「志也保牟」(シャボン)とある。